沿革

■東京玻璃製造人組合睦会 (明治12年6月~明治29年3月)
 明治初年、東京府で硝子を製造・販売するもの70余名が、それまで依存せざるを得なかった輸入製品に対抗して、国内生産を隆盛にするために同業者が協力することの必要性を痛感。組合組織の設立を決議して、明治12年4月、東京府知事に願い出て、同年6月に許可が下り、「東京玻璃製造人組合睦会」を設立。これが、東京における硝子組合の起源となる。この後、3回に分けて鑑札が附与されて、76名の加入が許され、ここに商工合同の硝子組合が設立した。


■東京玻璃製造業組合 (明治29年4月~明治33年1月)
 明治中期過ぎ、我が国の輸出が次第に隆盛にすると、粗製濫造の弊害が現れ、その信用を傷つけるような傾向が見えてきた。それを防止する目的から、明治30年4月6日に「重要輸出品同業組合法」が制定される。

 これに先立って、硝子製品業界においては、営業上の弊害を矯正すると共に同業者の信用保持を目的とした、商工合同で結成された「東京玻璃製造業組合」を、明治29年4月に結成。前述の「重要輸出品同業組合法」による組合の設立を申請し、翌31年8月にその認可を得た。


■東京洋燈問屋組合 (明治33年2月~明治39年11月)

 明治30年代の初め、ランプ、硝子器の問屋を営む生野恒八は、卸売業である同業者間に連絡機関がないのを遺憾に思い、明治33年「東京洋燈問屋組合」を結成。これは遵法の組合ではないが、東京における商業者のみの組合としては最初のもので、後の同業組合結成の母体となった。


■東京洋燈玻璃器商同業組合 (明治39年12月~大正3年5月)

 上記組合発足後の数年間は、洋燈と電灯、ガス灯の3者の大競争時代であり、いわば燈具業界の一大変遷期であったが、明治39年秋、「東京洋燈玻璃器商同業組合」が認可を得て、法的組合の結成となった。その名の示す通り、従来のランプ専業の組合からランプ、硝子器の組合へと業界の変容を表し、明治33年に制定された重要物産同業組合法による組合として設立され、輸入品ばかりでなく国内硝子製品の検査を行い、粗悪品の乱売防止に努め品質の向上に寄与した。


■東京玻璃器商同業組合 (大正3年6月~昭和15年8月)
 大正3年、医理化団体硝子同盟会を吸収合併し、洋燈・食器・食料壜および雑器部門を「一部」、医理化・化粧壜部門を「二部」と区分して、洋燈の二字を削り「東京玻璃器商同業組合」と称することとなった。
 以来、営業品の検査を実施して品質の向上と価格維持に積極的に努める一方、大正後期より優良従業員の表彰を実施。業界の親睦融和と健全な発展を期するなど、多方面にわたる活動を行った。

 その後、第二次世界大戦の勃発を契機として、同業組合の役割を果たし、後継組合にその統制業務を委ねて円満解散するまで、法的組合として硝子業界の安定と向上に寄与し、我が国経済の発展に資するところ大なるものがあった。


■東京硝子製品卸商業組合 (昭和15年9月~昭和16年7月)

昭和15年9月、東京市一円をその地域として設立された「東京硝子製品卸商業組合」は、東京玻璃器商同業組合が従来自主的に行ってきた販売価格の決定などの事業をも包含して、昭和16年6月に統制事業を実施することを決定し、同年7月には、製品の共同購入、共同販売、さらに販売価格の決定などを内容とする統制規程を設けた。


■東日本硝子製品卸商業組合 (昭和16年8月~昭和19年6月)
 上記の卸商業組合は、昭和16年8月、政府の指示に基づき「東日本硝子製品卸商業組合」に改組し、東日本を地区として統制規程に基づいて統制事業を実施することになった。

 硝子製品の配給統制を行うため、全国を東部、中部、西部の3地区に分割し、東日本硝子製品卸商業組合は箱根を境として、神奈川、山梨以東から北海道までの統制事業を行うことになり、配給機構は全国的に整備された。


■東部硝子製品配給統制組合 (昭和19年7月~昭和22年4月)
 上記組合の機構は、我が国の生産が極度に萎縮してきたため、昭和19年7月、これを東部、西部の二部制として、名称も「東部硝子製品配給統制組合」と改められ、政府の指示にしたがって統制活動を行うようになった。

 昭和19年9月の軍需省化学局長ならびに東京都経済局長の硝子製品販売整備に関する通牒により、硝子製品卸売業企業整備実施委員会規程ならびに企業整備委員の承認を得て、①府県別残存業者数の決定 ②生活保護の共助金受領資格者の掌握 ③共助規程の制定等を内容とする企業整備に着手し、配給機構および企業整備に全力を傾注、この事業を完遂した。しかし、空襲により事務所が全焼し、組合員も四散するなど、波乱の中で終戦を迎えた。


■東京硝子製品卸商業協同組合 (昭和22年5月~昭和24年12月)

 統制組合が解散すると、戦時中の企業整備によって廃業を余儀なくされた業者も、戦後の混乱期に逸早く復活し、統制前の業界の平和な姿を想望して業界設立の気運がとみに高まった。この気運に乗じ、業者の大きな協力を得て商工協同組合法に基づき、昭和22年5月、佐々木秀一理事長のもとに「東京硝子製品卸商業協同組合」が設立された。また設立に当たって、組織を理化医療器具部、食器器具部、壜部の3部門とした。本組合創立に際して集まった同意者数は、132名だった。


■東京硝子製品卸商業会 (昭和25年1月~昭和36年1月)
 昭和25年1月、任意組合として従来の組合業務を継承して設立された。戦後の業界再建と繁栄のため、組合設立の主目的である品質向上と不当廉売防止という課題に対し、製造業界との連絡に留意し、商工懇話会を創設して商品の流通秩序の確立と適正価格の維持に努めた。そして、業界の安定と振興に成果を得た。

 また、昭和27年以来、製造業界と連携して「硝子祭」を挙行し、これを機に戦前の優良従業員の表彰を復活。業界発展のための熱意の高揚に成果をあげた。


■東京硝子製品協同組合 (昭和28年5月~現在)
 昭和27年頃より、業界において不当廉売および乱売防止等が叫ばれ、卸売業界の中心である第一次卸売業者は、業界3部門の有志39名に諮って中小企業等協同組合法のもと「東京硝子製品協同組合」を設立した。

 以来、生起する諸問題に対処しながら業界の発展と振興に寄与している。